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横浜地方裁判所 昭和54年(ワ)2244号 判決

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金三五七七万九三三九円及び内金三三七七万九三三九円に対する昭和五四年一二月二四日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は昭和三六年五月二日生まれの男子であり、被告は昭和五三年四月二一日当時赤松整形外科病院を経営していた医師である。

2  原告は昭和五三年四月二一日にオートバイを運転中スリップして転倒し、開放性左大腿骨骨幹部骨折・左尺骨骨折兼神経麻痺・顔面擦過打撲傷・胸膜部挫傷の傷害を受けて同日赤松整形外科に入院し、原告・被告間には原告の右各傷害を診療することを目的とする診療契約が成立した。

3  被告の診療行為

(一) 抗生物質の投与

被告は原告に対して、昭和五三年四月二一日の入院当日から同年八月二五日までの間、左記のとおりの種類、系列、量の抗生物質を投与した。

(1) ホスタサイクリン(テトラサイクリン系)

四月二一日 三〇〇〇ミリグラム

四月二二、二三日 各二〇〇〇ミリグラム

四月二四日 四〇〇〇ミリグラム

四月二五日から二九日迄 各一〇〇〇ミリグラム

五月九、一〇日 各一〇〇〇ミリグラム

七月二五日 三〇〇〇ミリグラム

七月二六日 一〇〇〇ミリグラム

(2) ミノマイシン(テトラサイクリン系)

七月二一日から八月二五日

(3) カネンドマイシン(アミノ糖系)

四月二三日 四〇〇ミリグラム

四月二四日 二〇〇ミリグラム

五月七日 二〇〇ミリグラム

五月九日から六月九日迄 各二〇〇ミリグラム

(4) ゲンタマイシン(アミノ糖系)

四月二五日から五月一六日迄 各四〇ミリグラム

五月一七、一八日 各八〇ミリグラム

五月一九日から七月二四日迄 各四〇ミリグラム

七月二五日 八〇ミリグラム

七月二六日から八月二五日迄 各四〇ミリグラム

(5) バニマイシン(アミノ糖系)

六月九日から七月一〇日迄

七月一二日から八月二四日迄

(6) リンコマイシン(リンコマイシン系)

四月二七日から五月八日迄 各六〇〇ミリグラム

七月九日から同月一三日迄 各六〇〇ミリグラム

(7) ゼオペン(合成ペニシリン製剤)

五月一〇日から同月一二日迄 各二〇〇〇ミリグラム

五月一四日から一五日迄 各二〇〇〇ミリグラム

(8) エリスロST(マクロライド系)

五月八日から同月二二日迄 各八〇〇ミリグラム

五月二七日から六月七日迄 各八〇〇ミリグラム

(9) シーアール(セフェム系)

五月二〇日から六月八日迄 各一〇〇〇ミリグラム(創より注入)

(10) セファレキシン(セフェム系)

五月二四日から七月二〇日まで

(11) セロスリン(セフェム系)

六月九日から同月一九日迄 各一〇〇〇ミリグラム(創より注入)

(12) オロキシン(セフェム系)

四月二八日から五月二二日迄 各一〇〇〇ミリグラム

(二) 診療経過

被告の原告に対する昭和五三年四月二一日から同年八月二五日までの診療経過は以下のとおりである。

四月二一日、被告は原告の骨折部位のレントゲン検査を行い、左大腿骨屈側の骨の露出している創(開放創)についてブラッシングとデブリートメントを二〇ないし三〇分行い、骨を整復し、傷を三針縫合し、左上肢をシーネ固定した。この際、被告は前記のように、原告の骨髄炎感染防止の為の抗生物質としてホスタサイクリンを選択し、同日より右抗生物質の投与を開始した。

同月二四日、被告は、原告の左大腿骨骨折・左尺骨骨折について、左大腿骨骨折に対しては、開放創をガーゼを覆い、左大腿部側方から切開して骨折部を整復してプレートで固定するの方法で、左尺骨骨折に対しては、左前腕尺側で切開し、骨折部を整復してキルシナー鋼線で固定するの方法で、それぞれ観血的整復手術を行った。

右手術後、原告は、四月二八日には足から膿が膿盆一杯出た他、四月二六日に一時平熱に下がったことを除けば、午前中は三七度台・午後は三八度台に発熱する、という状態が五月一一日まで続き、大腿骨骨折部に激しい痛みを訴え続けていた。

五月七日には、原告の熱は一層上がり、被告は翌八日に抗生物質の服用量を増やし、九日に抗生物質を大量に点滴投与したが、それでも熱が下がらなかったため、五月一一日に創部を切開したところ、大量の膿が出、この時点で被告は原告が骨髄炎に罹患しているとの疑いをもち、六月一四日、レントゲン像により骨髄炎を確定的に診断した。

五月一二日以後は、局所の洗浄及び局所への抗生物質の注入療法等の骨髄炎の治療に移行したが、右治療行為によっても膿の排出が止まらなかったため、七月二五日に再手術してプレートを抜去し、患部を掻爬した。

八月二四日に被告は原告の母せつ子に対して、原告が骨髄炎に罹患しているので被告方よりも大きな病院へ転院させるように説明し、原告は翌二五日に訴外警友病院に転院した。

原告は、警友病院に入院当時、ブドウ球菌を起因菌とする左大腿骨骨髄炎により排膿が続き、その他に左大腿骨偽関節、左尺骨遷延治癒骨折、左尺骨偽関節の症状があった。

4  被告の過失

(一) 骨髄炎罹患防止もしくは骨髄炎治療に対する過失

原告の本件大腿骨骨折は交通事故によって生じた開放性のもので、本件当時は外傷による直接感染によって化膿性骨髄炎を併発する危険性が高い状態であったうえ、骨髄炎は一度罹患すると難治であるばかりでなく患者に激しい苦痛を与えるものであるから、被告は、原告が骨髄炎に罹患しないように、もしくは骨髄炎に罹患した場合にはこれを可及的早期に発見して治癒せしめるべく、最も適切な治療処置を講じるべき注意義務があるところ、被告は以下のとおり、右注意義務を尽くさなかった。

(1) 整復手術の時期判断に関する過失

被告は、原告の大腿骨骨折の整復手術をするにあたり、化膿性骨髄炎の併発を回避するための措置として、骨折部の短縮を整復するため約一週間鋼線牽引を施し、二週間ないし四週間程度外傷の治療をしながら経過を観察して、傷の感染のおそれが全くないことを確かめたうえで固定手術を施行する等、整復手術及び固定手術を適応時期にするべき義務があったが、被告は、右注意義務を怠り、鋼線牽引及びその後の二ないし四週間の経過観察期間をおかないまま、本件事故の三日後である四月二四日に左大腿骨整復プレート固定手術をなした過失により、原告を骨髄炎に罹患させた。

(2) 骨髄炎予防のために投与すべき抗生物質の選択に関する過失

骨髄炎の感染の恐れがあり未だ原因菌の判らない段階では、医師としては感染予防用に合成ペニシリン製剤のように広範囲のスペクトルを持つ殺菌性の抗生物質を、又整復手術の実施の際には、局所に対する投与用としてゲンタマイシンのような強い抗生物質を、全身に対する投与用としては、リンコマイシンなどの抗生物質をそれぞれ選択し、且つ右抗生物質を有効に使用して骨髄炎の発症を防止すべき注意義務があり、特に、アミノ配糖体系抗生物質と静菌性抗生剤は併用すると拮抗作用を生じて治療効果を減じさせるものであるから、右両系列の抗生物質の併用投与は抗生物質を有効に使用するため厳に慎むべきところ、被告は、原告の入院当初から四月二四日の手術を経て同月二九日までの間、耐性菌率が多くこの段階としては投与に適さないホスタサイクリンの投与を続けたばかりか、四月二三日からゲンタマイシンやカネンドマイシンの投与を開始した際、右ゲンタマイシン及びカネンドマイシンがアミノ配糖体系抗生物質の一種であるにも係らず、静菌性抗生剤の一種である前記ホスタサイクリンをも継続して投与し、もって右両系列の抗生物質を併用してその治療効果を減じさせた過失により原告を骨髄炎に罹患させた。

(3) 骨髄炎の発見・治療の開始の遅れ

骨髄炎の特徴的な症状としては、赤沈値の亢進及び白血球増加、高熱・悪寒・嘔吐・脱水等の菌血症症状、骨の激しい疼痛、局所の化膿・腫脹・発赤・発熱・圧痛があり、これらの症状の有無について慎重な経過観察をすることで骨髄炎の早期発見及び早期治療が可能であるから、前記のように原告が骨髄炎を併発する高度の危険性を有していた本件の場合には、被告としては、血液検査を初期の段階から繰り返し行って赤沈値や白血球数の変化を観察すると共に原告の全身状態の観察・局部の触診等を充分に行って骨髄炎の早期発見につとめるべき注意義務があった。

特に本件では、原告は四月二八日に足から膿盆一杯の排膿をし、手術後五月一一日までの間、四月二六日に一時平熱に下がったことを除けば、午前中は三七度台・午後は三八度台に発熱する状態を続け、大腿骨骨折部に激しい痛みを訴え続けていて、五月一一日以前から骨髄炎に罹患していたことが推測される状態にあったから、右注意義務は当然のところ、被告は、手術後二週間以上経った五月九日まで血液検査を行わず、日頃から原告の患部の触診を充分に行うことを怠った結果、五月一一日になるまで原告が骨髄炎に罹患していることに気付かず、右対応の遅れから原告の骨髄炎を難治なものにした。

(4) 骨髄炎治療のための抗生物質選択に関する過失

骨髄炎の治療として投与に適さない抗生物質もしくは拮抗作用のある多種類の抗生物質を投与すると耐性菌ができてしまい治療が困難になるのであるから、患者に対して骨髄炎の防止のために抗生物質を投与したにもかかわらず同人が骨髄炎に罹患した場合、医師としては、直ちに従前投与していた抗生物質の投与を中止し、まだ耐性菌のできていない別の抗生物質をできるだけ種類を絞って選択したうえで、短期間に充分な量を投与する等の処置をとるべきであり、特に本件では、被告は五月一一日に原告の傷口を切開して膿が大量に出ているのを発見したのであるから、その時点で従来投与していた抗生物質が功を奏さず原告が骨髄炎に罹患してしまったことを認識し、もしくは認識しうべきであって、以後は直ちに当該抗生物質の投与を中止して耐性菌のない別の抗生物質をできるだけ種類を絞り、短期間に充分な量を投与するべきであった。

ところが、被告はこれを怠り、前記のとおり、五月一一日の後も、従前と抗生物質の種類を殆ど変更しないまま漫然と同じ種類の拮抗作用のある多種類の抗生物質を投与継続した過失により、耐性菌を生じさせて原告の骨髄炎を難治なものにした。

(5) 骨髄炎治療方法選択の過失

骨髄炎に対する治療方法としては、なるべく早期に持続洗浄療法のような強力な手段を講じるべきであり、もし自身で右治療が不可能であれば転医させるべきであるが、被告は、原告が開放骨折・手術後感染により骨髄炎を併発した事を発見した後、右骨髄炎に対する処置として、傷口を開放性にしてその傷口から抗生物質を直接投与するという療法をとり、その後の経過からみて右療法が功を奏さない事が明らかになった時点においても、漫然と前記の保存的療法を続けるのみで、持続洗浄療法のような強力な治療方法を選択し、もしくは然るべき医師の許に原告を転医させて右療法を受けさせることを怠った過失により、原告の骨髄炎を難冶なものにした。

(二) その他の過失

(1) 大腿部骨転位発見の遅れによる偽関節の招来

本件大腿部の骨折に対しては、骨折が治癒し、骨が正常に癒合するまでの間、骨折部位について、二ないし四週間に一度は最低二方面からのレントゲン検査を行って後記後遺障害の発生防止のため経過観察をすべき注意義務があった。

ところが、被告は六月二二日から八月二一日迄の二か月間は一切レントゲン検査等の経過観察をしなかった過失により、八月二一日に至るまで骨転位についての発見ができず、これにより原告の大腿部に偽関節を招来させ、左足約二センチメートル短縮の後遺障害を負わせた。

(2) 左尺骨骨幹部皮下骨折の治療に関する過失

尺骨骨折は、横骨折・粉骨折となっていることが多く、橈骨頭の脱臼が見逃されやすいという特徴があるので、尺骨骨折の治療にあたっては整合手術を正確にし、且つ手術後は肘関節部のレントゲン検査をするべき注意義務があるが、被告は、昭和五三年四月二四日の原告の左尺骨骨幹部皮下骨折の整復手術の際、その整複を正確にしなかったか、或いはその後のレントゲン検査による経過観察を怠った過失により、原告の骨の癒合を遅らせて、原告の尺骨部分に偽関節を生じさせた。

5  損害

(一) 損害の概要

原告は、骨髄炎罹患により、警友病院に昭和五三年八月二五日から同五六年一月一二日迄の間入院して手術を含む治療をうける事を余儀無くされた他、骨髄炎罹患の後遺症として、下肢が二センチメートル短縮し、左膝伸展マイナス五度、屈曲二五度の運動制限のある左膝関節機能障害となり、労働能力の四五パーセントを喪失して歩行その他労働日常生活全般に著しい支障を来すことになった。

右の障害の程度は自動車損害賠償保障法施行令別表後遺障害等級第一〇級の一一号に該当し、原告はこれについて身体障害者等級四級の認定を受けている。

又、被告の左尺骨骨折整復手術及び経過観察上の過失により同部分は偽関節となり、原告は左尺骨手術のため昭和五六年九月二〇日から一〇月六日迄の間警友病院に入院し、昭和五九年二月頃まで月一回程、その後は半年に一度の割合で経過観察の為の通院をそれぞれ余儀なくされ、後遺障害等級表の一二級六号に該当する左肘関節可動域制限の後遺障害を生じ、右病状は昭和六三年六月七日に固定した。

(二) 損害額の算定

(1) 逸失利益 二三二三万四一九三円

原告は以上のとおり、一三級以上にあたる二つの後遺障害が有るので右後遺障害等級は重い方の等級を一級繰り上げた九級に該当することとなるところ、原告が症状固定時満二七歳であったこと、当時の給与の平均月額が二五万五六〇〇円であったことを基準として計算すると、逸失利益は二三二三万四一九三円となる。

(2) 骨髄炎の治療のために、警友病院に入院を余儀なくされた事に関する損害

〈1〉 警友病院に於ける入院治療費の内二四七万五五〇四円

〈2〉 昭和五三年八月二五日から昭和五四年八月三一日までの入院諸雑費 三七万二〇〇〇円

〈3〉 損害の填補 一九三万五〇一二円

原告は国民健康保険から右記の高額療養費の支払いを受けたので、これを右費用に填補する。

〈4〉 慰謝料 三〇万円

(3) 左尺骨治療の為に入院及び通院を余儀なくされた事に対する慰謝料 八〇万円

(4) 前記各後遺症に対する慰謝料 合計八一〇万円

前記のとおりの左大腿骨後遺症及び左尺骨後遺症は原告の患者としての最善の治療を受ける権利を著しく侵害された結果生じたものであるとの本件の特質に鑑みて、右損害を慰謝すべき金額としては交通事故の基準の少なくとも一・五倍に相当する右金額が相当である。

(5) 弁護士費用 二四三万二六五四円

原告は本訴の提起を原告代理人両名に委任するにあたり、弁護士報酬として、着手金三〇万円及び成功報酬として認容額の一割を支払う約束をしたが、そのうち、少なくとも金二四三万二六五四円は本件事故と相当因果関係にある損害である。

よって、原告は被告に対し、被告の医療契約上の債務不履行に基づく損害賠償請求の一部として損害金三七七一万四三五一円のうち、前記填補を受けた残金三五七七万九三三九円と内金三三七七万九三三九円に対する本件訴状送達の翌日である昭和五四年一二月二四日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実を認める。

2  同2の事実のうち、原告がその主張記載の傷害を負って赤松整形外科に入院したことを認め、その余は不知。

3  同3(一)の事実のうち、昭和五三年七月二五日におけるゲンタマイシンの投与の量の点を否認し、その余は認める。同日の投与量は二四〇ミリグラムであった。

同3(二)の事実のうち四月二八日に原告が足から膿盆一杯の排膿をしたこと、八月二四日に被告が原告の母せつ子に対して、被告方よりも大きな病院へ転院させるように説明したこと、転医を勧めた原因が原告が骨髄炎に罹患していたためであること、当時の原告の症状については否認するが、その余の事実は認める。

七月二五日の手術の後は原告の排膿は漸次減少し、ついには無排膿となって、治療の効果をみていたものであり、また、被告が原告の母せつ子に転医を勧めたのは、八月二一日のことであり、その理由も、同日に被告が原告の骨折部に骨転位を認めたためであって、骨髄炎の治療の為ではない。

4  同4(一)(1)の事実のうち、被告が鋼線牽引及びその後の二ないし四週間の経過観察期間をおかずに四月二四日に左大腿骨整復プレート固定手術をなしたことを認めるが、被告が本件において化膿性骨髄炎の併発を回避するための措置として、骨折部の短縮を整復するため約一週間鋼線牽引を施し、かつ外傷の治療をするのを待ち、二週間ないし四週間程度経過を観察して傷の感染のおそれが全くないことを確かめて固定手術を施行するべき注意義務を負っていたこと、及び被告の整復手術の時期と原告の骨髄炎罹患の因果関係を否認する。被告は原告の苦痛が余りに激しかったので、苦痛を早期に除去するため、創に汚穢がないのを確かめた上で手術に及んだものであって、手術時期選択に何らの過失はない。

同4(一)(2)の事実のうち、医師が骨髄炎の防止・治療にあたって投与に適切な抗生物質を慎重に選択して用いるべき注意義務を負っていること、被告が原告の入院日の四月二一日から同月二九日までの間にわたってホスタサイクリンの投与を続け、且つ四月二三日以降、ゲンタマイシンやカネンドマイシンと右ホスタサイクリンを併用したことを認めるが、本件において、被告が原告の主張のような抗生物質を投与すべき具体的注意義務を負っていたこと、被告の選択した右抗生物質が投与に適さないものであったこと、被告の抗生物質投与が原告の骨髄炎罹患と因果関係を有することはいずれも否認する。被告が投与したホスタサイクリンは、本件当時、病原菌に対し広範囲に有効な第一次選択として感染防止に頻用されていたものであり、被告の右選択は全く問題がない。

同4(一)(3)の事実のうち、原告が四月二八日に足から膿盆一杯の排膿をしたこと、被告が日頃から原告の患部の触診を充分に行っていなかったこと、原告が五月一一日以前の時点で、骨髄炎に罹患し又は骨髄炎に罹患していることが推測される状態にあったこと、及び右原告の診療行為と原告の骨髄炎が難治なものになったこととの間には因果関係があることは否認するが、その余の事実は認める。第一次手術後、二週間前後位は患部の疼痛・発熱があるのは術後、通常あり得る容体であって、前記の原告の症状をもって未だ骨髄炎の前駆的症状とは認められない。被告はこの間、創部に対して充分な注意を払って治療にあたっていたが、原告の創面は五月一一日迄綺麗で、特に骨髄炎を疑わせる様な変化はみられなかった。

同4(一)(4)の事実のうち、被告が骨髄炎に対して投与に適する抗生物質を選択すべき一般的注意義務を負っていたこと、被告が五月一一日に原告の傷口を切開して膿が大量に出ているのを発見し、原告が骨髄炎に罹患した疑いを持つこと及び五月一一日前後の被告の原告に対する抗生物質の投与状況が原告の主張どおりであることは認めるが、原告が同所で具体的に主張するような抗生物質の投与をすべき注意義務を被告が負っていたこと及び被告のなした抗生物質の投与が不適切であったことは否認する。本件で被告が投与を続けた抗生物質は、原告の主張どおりエリスロST、オロキシン、ゼオペン、カネンドマイシン、ゲンタマイシンであるが、被告はこれらを病原菌に対して広範囲に作用して効果があるようにとの考えから投与し、しかも感受性検査の結果有効であった為、投与を継続したものであって、適切な投与である。又、抗生物質の併用の効果的であることは一般に臨床的に認められている。

同4(一)(5)の事実のうち、被告が原告の骨髄炎併発を発見した後、右骨髄炎に対して傷口を開放性にしてその傷口から抗生物質を直接投与するという療法をとったこと及び被告が原告に対して持続洗浄療法を取らなかったことを認めるが、被告が原告に対して骨髄炎の治療方法として右持続洗浄療法を受けさせるべき注意義務を負っていたとの事実を否認する。

同4(二)(1)の事実のうち、八月二一日に至って骨転位を発見したとの点は認めるも、同年六月二二日から同年八月二一日迄の二か月間は一切レントゲン検査等の経過観察をしなかったこと、及び同年八月二一日に至るまで右骨転位についての発見ができなかったことと、原告の大腿部に偽関節が生じ、左足が約二センチメートル短縮する後遺障害が生じたこととの因果関係は否認する。被告は七月二七日、八月二一日にそれぞれ二方向からのレントゲン検査を行っており、経過観察をすべき注意義務をつくしている。本件骨転位は原告の骨折に起因する不可抗力的なものであって被告の診療行為とはなんら相当因果関係を有するものではない。

同4(二)(2)の事実のうち、被告が四月二四日に原告の左尺骨骨幹部皮下骨折に対して、観血的整合手術を行ってキルシナ鋼線で固定したとの点は認め、その際、整復を正確にしなかったか或いはその後レントゲン検査等による経過観察を怠ったことを否認し、原告の尺骨に偽関節が生じていることは知らない。仮に原告の尺骨部分に偽関節が生じているとしても、これと被告の治療行為との因果関係は否認する。

5  同5の事実はいずれも知らない。

仮に、原告の主張のような下肢の二センチメートルの短縮があったとしても、そのことは、身体障害者障害程度等級表による最も低い等級の身体障害にすら当たらない。又、仮に原告主張のとおりの肘関節の偽関節があったとしても、肘関節可動域の正常範囲は○度ないし一四五度であり、原告主張の可動域との差は一〇分の一以下であるから、後遺障害というほどの障害とは考えられない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1の事実及び同2の原告は昭和五三年四月二一日開放性左大腿骨骨幹部骨折・左尺骨骨折兼神経麻痺・顔面擦過打僕傷・胸膜部挫傷の傷害で被告の経営する赤松整形外科に入院したことは当事者間に争いがない。

二  被告の診療行為の経過(以下において述べる日時はいずれも昭和五三年のものである。)

1  抗生物質の投与状況について

被告の本件における抗生物質の投与状況については、七月二五日のゲンタマイシンの投与量を除き当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、同日のゲンタマイシンの投与量は二四〇ミリグラムであったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

2  レントゲン検査の実施について

被告が四月二一日に原告の本件骨折部分二か所についてのレントゲン検査を実施したことのほか同検査は六月一四日と八月二一日行なわれたことについては当事者間に争いはなく、そのほか同検査については、〈証拠〉を総合すれば、被告は原告に対して次のとおりの日時、回数、部位のレントゲン検査(特に(二)・(六)については部位と枚数)を行ったことが認められる。

(一)  五月二九日 左大腿部二枚(二方向) 左尺骨一枚

(二)  六月一四日 左大腿部二枚(二方向) 左尺骨二枚(二方向)

(三)  七月三日 左大腿部二枚(二方向) 左尺骨二枚(二方向)

(四)  七月一八日 左大腿部二枚(二方向)

(五)  七月二八日 左大腿部二枚(二方向) 左尺骨二枚(二方向)

(六)  八月二一日 左大腿部二枚(二方向)

3  次いで、右抗生物質の投与レントゲン検査の状況を含めた被告の本件診療行為の内容を検討する。

(一)  昭和五三年四月二一日

〈証拠〉を総合すると、原告は昭和五三年四月二一日の午後六時一五分頃、オートバイを運転中に、スリップして転倒し(以下本件事故という)、事故後救急車で一〇分ないし一五分の時間を要して、被告の経営する赤松病院(以下被告方という)に運ばれたが、本件事故の起こった現場の状況は、砂利や砂が沢山流れこんだ状態の舗装道路であったこと、原告の大腿骨骨折は、骨が左足の背部の足の付け根と膝の中間部分の皮膚を弧の長さ約一〇センチメートル傷口の大きさ約三センチメートルの傷をつくって少し飛び出ている状態で、傷口は土やほこりで汚れてはいたものの、開放性骨折にしてはその傷口は比較的綺麗で、右時点で原告と被告間に原告の右各傷害の診療を目的とする診療契約が成立したことが認められ、被告が同日右契約に基づき、前記2の骨折部位のレントゲン検査を経て、左大腿骨屈側の骨の露出している創(開放創)についてブラッシングとデブリートメントを二〇ないし三〇分行い、骨を整復し、傷を三針縫合し(以下本件整復という)、左上肢をシーネ固定したこと、同日より骨髄炎の感染防止の為に被告が原告に対してテトラサイクリン系の抗生物質であるホスタサイクリンの投与を開始したことについては当事者間に争いがない。

(二)  同年四月二二、二三日

原告が翌二二日及び二三日に骨折部に激しい痛みを訴え、三七度四分以上の発熱をしていたことは当事者間に争いはないが、〈証拠〉によれば、同二三日も創面の状態自体は綺麗であったことが認められる。

(三)  同年同月二四日(第一次手術)

被告が本件事故の三日後である同月二四日に原告の左大腿骨骨折に対し、開放創をガーゼで覆い、左大腿部側方から切開して骨折部を整復してプレートで固定するとの方法で、また左尺骨骨折に対し、左前腕尺側で切開し、骨折部を整復してキルシナー鋼線で固定するという方法で、それぞれ観血的整復手術(以下第一次手術という)を行ったことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば右手術の経過は良好であったと認められる。

(四)  第一次手術後同年五月一一日まで

四月二五日以降手術後の四月二六日を除く五月一一日までの間の状況としては、原告が午前中は三七度台・午後は三八度台に発熱する状態を続け、大腿骨骨折部に激しい痛みを訴え続けていたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すれば、この間、被告が毎日午前中に一回、二、三分ずつ回診しながら本件整復処置及び本件第一次手術の際の各縫合部分を消毒してガーゼ交換をなし、骨折部をシーネ固定する処置を施していたこと、四月二八日には第一次手術部分についての半抜糸を、翌五月三日には全抜糸を行ったこと、しかし同月六日以降は原告が最高では三八度の後半に至る発熱を生じるようになり、同月七日には原告の傷に腫脹が見られ、被告がこれらの兆候に気付いたため、前記1の争いない事実のとおり原告に対し同日抗生物質であるカネンドマイシンの点滴投与をなし、同月八日には従前の抗生物質に加えて抗生物質であるエリスロSTの投与を開始し、同月九日には術後初めてではあるが血液検査をし、同日から前記カネンドマイシンの点滴投与を継続するようにし、翌一〇日からは更に抗生物質であるゼオペンの投与をも開始すると、右発熱にも拘らずこの間は創面に目立った変化はなかったことが認められる。原告が既に四月二八日には大腿部から大量の排膿をしていた旨主張し、〈証拠〉中には、原告の同主張にそう部分があるが、これは前記認定の諸事実からすると、被告が原告の創面を毎日診ており、原告の発熱等にも注意して経過観察を行いつつ作成されたことからして信用性が高いと推認される〈証拠〉に照らして信用出来ず、そのほか原告の前記主張を認めるに足る証拠はない。

(五)  五月一一日から七月二五日(第二次手術)まで

五月一一日に被告が原告の大腿部創部を切開し、その際大量の膿が出たため、被告は原告の骨髄炎罹患を初めて疑ったこと、翌一二日以後は、局所の洗浄及び局所への抗生物質の注入療法等(同五月一七日以降はゲンタマイシンの使用も含む)の骨髄炎の治療に移行したこと、しかし七月二五日までの間は排膿が続いたことは当事者間に争いはなく、〈証拠〉によれば、被告は五月一六日に骨髄炎の感染についての感受性テストを行ったこと、しかし右五月一七日に骨がどの程度侵されているかの検査としてウログラフィン瘰孔造影を予定したところ、被告に吐き気があり結局造影が出来なかったため、依然として腐骨の有無ははっきりしなかったこと、しかし、同月一九日には前記感受性テストの結果が出たため、被告はこれに基づいて、以後原告に対して投与する抗生物質を決定したこと、が認められ、その後の同月二〇日には骨髄炎に対し抗生物質であるシーアールの創面よりの注入を開始し(翌六月八日まで継続)、同月二四日には抗生物質であるセファレキシンの投与を開始したことについては当事者間に争いがない。そして〈証拠〉を総合すると、前記2の(一)のレントゲン検査(五月二九日)では骨膜反応が若干見られたものの、骨髄炎の特徴的傾向である骨破壊像は未だ出ていなかったことが認められ、六月九日からは前記シーアールに代えてセロスリンの注入を開始すると共にパニマイシンの投与を開始したことは前記1のとおりで、被告が原告の骨髄炎罹患を確定的に診断したのは前記2の(一)の検査を経て同(二)のとおり同月一四日検査のレントゲン像によるものであることは当事者間に争いがない。

(六)  第二次手術以後転院まで

被告が七月二五日に大腿部及び尺骨部のプレート抜去し、排膿の続いていた大腿部の患部掻爬の手術(以下第二手術という)をしたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すると、被告が同月二八日に原告の左大腿部及び左尺骨部分のレントゲンを二方向からそれぞれ二枚ずつ取ったがいずれの部分にも異常は見られず(右に反する〈証拠〉部分は措信しがたい)、右手術後は原告の排膿が少しずつ減少してきて、七月二六日から翌八月五日にかけては排膿がない日が二、三日連続する時もある状態になり、体温も七月二八日以降はほぼ三七度以下の平熱に戻ったが、前記2の(六)記載のとおりの八月二一日の左大腿部のレントゲン検査によって大腿部の骨転位が発見されたことが認められ、同月二五日に原告が被告からの転院の勧めにより被告方から訴外警友病院へ転院したことについては当事者間に争いがない。

(七)  転院時の原告の症状及びその後の経緯

〈証拠〉を総合すると、原告が八月二五日の転院当時、左大腿骨は黄色ブドウ球菌を起因菌とする骨髄炎に罹患して骨折部周囲の軟部組織が瘢痕となり、感染によって異常肉芽が生じ、患部から排膿があったほか偽関節にもなっており、左尺骨は遷延治療骨折で偽関節となっている状態であったことが認められるから、原告の骨髄炎は前記(六)で認定したような排膿の減少、熱の鎮静化はあったものの、前記転院した八月二五日に至る迄完治していなかったことが推認されるが、その後原告は警友病院において手術・灌流等の骨髄炎及び偽関節の治療を受けて、昭和五五年一一月一〇日に同骨髄炎は完治したことが認められる。

三  以下前記認定等の事実を前提にして、被告の注意義務について判断する。

1  骨髄炎罹患と被告の責任

本件において原告が骨髄炎に罹患する高度の危険性を有していたこと、骨髄炎が難治な病気であり、患者に激しい苦痛をもたらすものであり、医師として骨髄炎罹患防止に細心の注意を払うべき一般的注意義務があることについては被告も明らかに争わないが、原告は、原告が骨髄炎に罹患した原因として、第一に被告の整復手術の時期選択の不適切(請求原因4(一)(1))、第二に被告の抗生物質の投与の不適切(同4(一)(2))を主張するのでこの点について判断する。

(一)  請求原因4(一)(1)整復手術の時期判断に関する過失について

原告は、本件のような開放性骨幹部骨折に対しては、約一週間の鋼線牽引と二週間ないし四週間程度の外傷についての経過観察期間において傷の感染のおそれが全くないことを確かめた上で固定手術をすべき義務があると主張し、被告が本件事故の三日後である四月二四日に前記第一次手術をなしたことをもって原告の骨髄炎罹患と因果関係を有する過失行為である旨主張する。

しかし〈証拠〉を総合すると、本件のような交通事故による開放性骨折に対する処置としては先ずデブリートメント及びブラッシング等の早期処置を徹底して行い、次に骨折部の整復手術を行うが、その時期については、原告主張のような長期の経過観察期間をおいて行う方法と、右が患者に激しい苦痛と長期間の安静を強いることになることから、なるべく早期に固定手術をする方法とがあり、後者の方法をより妥当とする見解も強くあること、したがって一般的に原告の主張するような整復手術時期についての注意義務があるとまでいうことはできないうえ、被告は本件においては、徹底的にデブリートメントとブラッシングを行い、原告の創面が綺麗で、比較的感染の恐れは低いと考えられたことと被告の苦痛が激しかったことを考慮して後者の方法を選んだことが認められ、本件全証拠をもってしても被告の右選択を不当とする事由は見当らない。

(二)  同4(一)(2)(骨髄炎罹患防止の為の抗生物質選択における過失)について

被告は、被告が四月二四日の手術の前後においてホスタサイクリンの投与をし、四月二三日以降はゲンタマイシンやカネンドマイシンとホスタサイクリンを併用したことをもって、原告が骨髄炎に罹患したことと因果関係を有する不当な治療行為である旨主張し、〈証拠〉によれば前記ホスタサイクリンは骨髄炎に対して第二次選択薬である旨の記載があり、又松元鑑定には被告が四月二一日から二三日にかけてホスタサイクリンを投与したことは不当である旨の記載があり、〈証拠〉には抗生物質併用の弊害が論じられており、右記載はいずれも原告の主張にそうかのようではあるが、〈証拠〉によれば、骨折による骨折部分には血行が無くなるため、抗生物質を投与しても当該部分に対してこれが行き渡ることは期待出来ないので、骨折に対してどのような種類の抗生物質をどれだけの量使用するかと骨髄炎の発生・不発生とは有意の差はなく、骨折に対してなされる抗生物質の投与は、骨折部の感染防止よりは、寧ろ血液感染による肺炎等の二次感染を防止する意味から行われていること、そして以上を総合すれば抗生物質の投与方法の当不当と骨髄炎罹患とが因果関係を有するとまで認めることはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。従ってその余について判断するまでもなく同4(一)(2)の事実は認められず、その他原告の前記主張を認めるに足る証拠はない。

2  骨髄炎が難治なものとなったことに対する被告の責任について

原告が本件事故によって骨髄炎に罹患し、被告方における治療期間中に右骨髄炎から治癒せず、結局完治までに三年半を要したこと、及び被告方における治療行為の状況は前記認定のとおりであるところ、原告は原告の治癒が遅れた原因は、第一に被告が原告の骨髄炎罹患の事実を発見するのが遅れたこと(請求原因4(一)(3))、第二に被告のなした抗生物質の投与が不当であったこと(同4(一)(4))、第三に被告が原告に対して洗浄灌流法による治療を施さず、もしくは原告に骨髄炎罹患の事実を直ちに告げずに原告の転院を遅らせて、八月二五日の転院に至るまで持続灌流法による治療を受ける機会を与えなかったこと(同4(一)(5))にある、と主張するのでこの点について判断する。

(一)  請求原因4(一)(3)(骨髄炎の発見・治療の開始についての過失)について

骨髄炎の特徴的な症状としては、赤沈値の亢進及び白血球増加、高熱・悪寒・嘔吐・脱水等の菌血症症状、骨の激しい疼痛、局所の化膿・腫脹・発赤・発熱・圧痛があること、医師が右を念頭において血液検査や触診等の慎重な経過観察をすることにより、骨髄炎の早期発見及び早期治療をすべきこと、被告が原告の骨髄炎罹患の疑いをもったのは昭和五三年五月一一日に至ってからであることは当事者間に争いのないこと前記のとおりであるところ、原告は、本件においては五月一一日以前から骨髄炎に罹患しているのに、五月一一日になるまでその罹患に気付かなかったことをもって原告の骨髄炎を難治なものにしたとして、これは因果関係を有する過失である旨主張する。

しかし、〈証拠〉を総合すれば、骨髄炎罹患の判断手段としては血液検査や熱形・局所の膿腫への観察があるが、最終的な決め手は排膿の有無であり、発熱が続くことや疼痛があることのみからは判断出来ないものであることが認められ、これからすると、前記認定のとおり、原告の発熱・疼痛の状況、五月九日の血液検査の結果は白血球数は正常値であり、原告の創面は五月一一日に至るまで綺麗であったということであるから、原告が五月一一日以前に骨髄炎に罹患しており、被告にもそれが認識可能な状態であったということができず、その他原告の右主張を認めるに足る証拠はない。

(二 )同4(一)(4)(抗生物質の投与の不当)について

原告は、被告が五月一一日に原告が骨髄炎に罹患しているとの疑いをもった後直ちに抗生物質の種類を変更しなかったこと及び同一抗生物質の続用と抗生物質を併用したことが原告の骨髄炎が難治なものとなった原因である旨主張する。

しかし、原告の右主張のうち、抗生物質の種類を変更すべきとの点については、〈証拠〉によれば、同一抗生物質の無意味な長期投与は避けるべきとの見解があることは認められるものの、本件において具体的にどの抗生物質が本件治癒にとって無意味な抗生物質であり、何時の時点でどの抗生物質を投与すべきであったかについてその特定を認めるに足る証拠はない。

次に抗生物質の併用については、〈証拠〉によれば、テトラサイクリン系の抗生物質とアミノ配糖体系の抗生物質の併用は厳に慎むべきであるとの見解があることが認められ、ゲンタマイシンとパニマイシンがアミノ配糖体系に属すること、ミノマイシンがテトラサイクリン系の抗生物質であること、被告が昭和五三年七月二一日から翌八月二五日までの間(但しパニマイシンについては同八月二三日までの間)ミノマイシンとパニマイシン・ゲンタマイシンを併用したことは前記二の1のとおり(当事者間に争いがない)であるが、しかし、〈証拠〉によれば、抗生物質の併用をすべきでないとする右見解に対してはむしろ抗生物質の併用をすべきとの又は併用の有無によって治療効果が異なるものではない、との反対説もあることが認められ、以上によれば被告のなした抗生物質の併用処置が不当であったとの事実を認めることはできず、以上によればその余について判断するまでもなく、(三)(1)は理由がない。

(三)  同4(一)(5)(持続洗浄方法による治療を受けさせなかった過失)について

被告が、原告に対して持続灌流法による治療を施さず、原告の骨髄炎罹患の事実をはっきりと告げたのは、原告に骨髄炎の特徴的傾向である排膿が生じた昭和五三年五月一一日から三か月以上経過した昭和五三年八月二一日になってであることは前記二の3の(六)記載のとおりであり、〈証拠〉を総合すば、原告の主張のとおり骨髄炎の治療としては持続灌流方法が最も妥当との見解があり、同持続灌流方法を行うには相当大規模な設備を要し、通常の個人病院では殆ど不可能であることが認められ、被告本人尋問の結果によれば、被告方は医師が二名程度の個人病院であって右灌流方法を講じうる設備はないことが推認されることからすれば、原告の主張にはそれなりの理由があるようにも考えられるが、〈証拠〉を総合すると、骨髄炎の治療方法としては、局所の創を開放にして排膿し、ガーゼ交換により消毒すること(以下基本的処置という)が基本で、同基本的処置のみを行うべしとの見解と右基本的処置に加えて全身的な抗生物質の投与又は持続灌流を集中的に行うべしとする見解とがあり、未だ学会において何れが最適の方法であるかの結論は出ていない状態にあること、設備の整った所謂大病院においても灌流を行わず基本的処置のみを行っている所もあることが認められ、以上によれば骨髄炎の治療処置として灌流方法を取るべき一般的な注意義務は認めるには足らず、他にこれを認めるに足る証拠はない。従って、なるほど被告が原告の骨髄炎罹患の事実を早期に明確な形で原告やその両親に説明をつくさなかった点は患者との信頼関係の維持という側面からは相当な診療行為とはいいがたいきらいはあるものの、右の説明の欠如及び転院による灌流方法の開始の遅れと原告の骨髄炎治癒の遷延との間に相当因果関係を認めるに足る証拠がない本件においては、これをもって被告の過失を論ずることはできず、したがって請求原因4(一)(5)の事実は認められない。

3  本件事故により原告に生じた後遺症に対する被告の責任について

請求原因4(二)(1)(レントゲン検査不履行による骨転位発見の遅れ)の事実については、被告が原告の左大腿部について昭和五三年六月二二日以降も同年七月三日、同一八日、同二八日、翌八月二一日と三週間以内に一度ずつ二方向からのレントゲン撮影を行って経過観察をしていたこと、八月二一日のレントゲン検査で初めて骨転位が明らかになったことは前記二の2及び3の(六)のとおりであるからその余の点について判断するまでもなく同4(二)(1)の事実は認められず、また同4(二)(2)(左尺骨骨幹部皮下骨折の治療に関する過失)については、これを認めるに足る証拠はない。

四  結論

以上のとおり、本件においては原告主張のいずれの点においても被告の過失を認めることはできないから、その余の点について判断するまでもなく原告の本訴請求は失当としてこれを棄却することにし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤枝忠了 裁判官 雨宮則夫 裁判官 伊藤靖子)

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